【カジキマグロの悲劇】

(注)本編はシリアス路線です。


食料品売り場にごく普通に陳列され口にする機会の多いこの魚
カジキマグロ

実は、このような名前の魚は存在しない。カジキマグロという名で売られているこの魚の本当の名は、 メカジキといい、マグロの仲間ではない。
カジキの仲間は世界に4属12種存在し、その内このメカジキはスズキ目メカジキ科で一種のみ。 その他の3属11種はスズキ目マカジキ科に分類される。 マグロはスズキ目サバ科に属するので全く別物なのである。

では、なぜ名前が混同してしまったのだろう。 マカジキ科の中には味や見た目がマグロの切り身と酷似するものもあるが、生きている個体は 見た目があまりにも違う。カジキの仲間には鋭く尖った長い顎があるが、マグロにはない。 カジキの肉をマグロという高級魚の名を借りて高値で売ろうという商業上の作戦なのだろうか?

そんな疑問から始めた調査だったが、進むにつれてとんでもない事実が浮き上がってきた。 調査の初期段階で手にした情報は《船舶の事故が関連している》というものだった。

まさか、この“船舶”があの“第五福竜丸”だったとは・・・・・・



第五福竜丸

1940年代に第七事代丸としてカツオ漁のために建造されたが、後、 マグロやカジキを延縄漁で追う遠洋漁業船に改造され、第五福竜丸と改名し活躍する。
そして、悲劇の1954年(昭和29年)3月1日を迎える。


1954年3月1日

米、ビキニ環礁において水爆実験

第五福竜丸は1月22日にビキニ周辺の公海上での漁のため焼津港を出港し、この日を迎える。 アメリカは日本政府に対し実験における危険水域の啓示を行っていたが、 日本政府は漁船に対し警告を怠っていた。 この時、第五福竜丸は危険水域外であるビキニ環礁の東方160kmの海上で操業していた。 が、しかし、水爆の威力はアメリカの予想をはるかに越え、爆発から約3時間後 第五福竜丸は『死の灰』を被り被爆してしまう。
急性放射線症状に陥った船員たちは3月14日に母港の焼津港に帰港した後、 焼津協立病院や東大付属病院に収容される。

後、1954年9月23日 第五福竜丸・無線長 久保山愛吉さん
原水爆の被害者は私を最後にしてほしい。」   この言葉を最後に死去。



葬儀の様子

被爆者は第五福竜丸の乗組員以外にも周辺諸島などで多数存在し、世界は騒然となる。


当時の新聞記事

マスコミは混乱を極めた。 その被害の大きさに・・・あまりにも無常な惨劇に・・・

そのなかでも最も大きな混乱を招いたのは被爆したカジキ類やマグロ類が市場に出回り、 多くの人々が口にしてしまったことだった。マグロの値も急落、まさに混乱を極めたのだった。 そして本題である名前が混同が生じたのも、 まさにこの時だったのである。当時のマスコミは混乱の中、カジキ類マグロ類の分類を誤り「 カジキマグロ」と報道したのだった。
この報道が今日まで修正されることなく、カジキマグロという名が定着したのである。 本来、“間違え”や“誤り”というものは修正されるべきことであるが、 この件についてはそれがそれが当てはまらないような気がする。 その名を呼ぶたびに、その肉を口にするたびに、そして目にするたびに、『カジキマグロ』は 我々に核の悲惨さを思い出させてくれるのではないだろうか?

第五福竜丸乗組員全23人が被爆、そして今日までに11人の方が亡くなっている。 ビキニ環礁周辺諸島でもすでに40人以上の方が亡くなっている。 被害は今なお続いているのである・・・・・・


現在、第五福竜丸は東京都江東区夢の島公園内に展示されています。